日々のせいか

郊外のマンションで、ネコとカメと壊れたオジサン看ています。

ささやかな矜持

歳月の海の底から不意に面影が浮かび上がる。
そんな経験はありませんか。

十数年ぶりに、以前の職場の上司からお電話をいただきました。
驚いたのは、声を聞いた瞬間です。聴覚の記憶って凄いですね。
メールではおぼろげだったその方の姿、笑い方、仕草、銀座でしゃぶしゃぶをご馳走になったことまでが一瞬に蘇りました。
飲んべえでべらんめえの記者あがりが多いなかで、その方は学芸部出身らしい温厚な人柄で、わたしのような小娘にも丁寧に仕事を教えて下さいました。
わたしは、社会人としての自分を育ててくれたその会社に、ずっと感謝の念と愛着を抱いて生きてきました。


ここ数年、若い人たちの雇用状況は悪いままです。
それは、本人の資質や努力うんぬんよりも、企業側の責任の方が大きい気がしてなりません。
若い人を育てようという気概が無いというのでしょうか。

前を行く者が、続く者にいいバトンをしっかり渡してあげようなんて全く思っていない。使い捨てにする意図が見え見えの構造になっています。
会社が教えてくれたことが、今の自分の、どこか小さな部品としてちゃんと在ることが、わたしのささやかな矜恃です。


ちなみに今東京で闘う、時の人も当時の職場の熱き上司。若い世代を鼓舞し時に叱咤し、育てあげた情の深いジャーナリストです。