日々のせいか

郊外のマンションで、ネコとカメと壊れたオジサン看ています。

担当者会議

半年に一度くらいでしょうか。
不定期に開かれる担当者会議は、わたしの歓迎するところです。
在宅介護の家庭によっては、自宅に関係者が押し寄せるこの会議が、面倒だったりプレッシャーを感じる向きもあるでしょう。
けれどわたしにとって担当者会議は『チームM』の総合力を確認する大切な機会です。頭にあるイメージは、レーシングカーのチームみたいな感じでしようか。

キーパーソンであるわたしは、ケアマネさんや看護師さん、ヘルパーさんと同じく、それがチームのポジションの一つだと思うようにしています。
お世話になってます、よろしくお願いします、だけのスタンスでは在宅介護の質が上がることは少ないでしよう。
わたしには、介護や医療の専門知識はないけど、エムの情報だけは一番あるわけですから、臆することなく質問して現状を把握し、ここはエムにこういう対応で統一して下さい、というような指示も出します。

こうしてエムの担当者会議は、辣腕のケアマネにも恵まれて、いつも前向きで実践的です。世の中、くだらない会議があまたあるなかで、わたしは有意義な一時間を過ごし、エムを見ているのはわたし独りじゃないんだと再びパワーを得るのです。

後妻業の女

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土曜日の客席は、中高年カップルでいっぱい‼︎
ほんまに夫婦円満なのか、刺激欲しいのか?

わたし、映画はかなりよく観ます。いつもひとり気ままはいいのだけど困った癖があります。それは、これから観に行く映画に、服装を合わせちゃうこと。
コスプレまでじゃないんです。未だ見ぬ映画に期待する分、想像しちゃうんですね。
例えば、恋愛映画に綺麗な色のワンピ着たり、スパイ映画に黒のパンツを選んだり、そんな程度の気合い⁉︎

ちなみに、後妻業のイメージはこんな怪しい感じでしたが、実際の映画はめちゃ明るい大阪ピカレスク
大竹しのぶはもちろん最高ですが、彼女の超大なオーラに負けないトヨエツに感激しました。
犯罪の凄惨さハンパないのに、邦画には珍しい突き抜け方で、シモネタともども合わせ技で笑いにする鶴橋監督に拍手です。

青い小さな本

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わたしの部屋のベッドサイド。狭いテーブルの上は目覚まし時計や香水瓶、犬のぬいぐるみなどが雑然と乗っています。そして、端っこにはいつも青い小さな本があります。
2009年の冬。わたしは、駅の南口の雑踏を歩いていました。すると、ふいに一人の女性が現れて「良かったら受け取って下さい」と一冊の本を差し出しました。本は、元々自分の物のようにわたしの手になじみます。礼を言って歩き出し、開いてみると聖書だったのです。驚いて振り返ると師走の人混みがあるばかりで、本を配る人など何処にもいません。
それはエムを自宅に引き取って1年が過ぎた頃の出来事でした。
わたし、泣いてたわけじゃないし、むしろ颯爽と歩いていたつもりです。なのに、まるで上空から誰かが見ていて「あの者にこれを届けなさい」と言ったようなミラクル。
わたしは宗教を持ちません。なのに青い小さな本は、時々開いても何行も読むことのないまま、わたしを守ってくれているかのようです。

口ぐせ

気がつけば、「よし、次」と言うのが、最近のわたしの口ぐせです。

家にいる時間、わたしにはぼんやり座っている暇がありません。エムの介護を巡るもろもろがわたしの休息を侵食するからで、時間を持て余しているスポーツクラブに通う同年代の友人たちとはまるで別世界!
時間を切り貼りしてやっと空けた60分。チャリを飛ばして駆け込んだジムで、頭をからっぽにして走ることがわたしのいちばんの休息です。

思えば「よし、次」よりも前、あのエムの事故から数年間の口ぐせは「もう少しだけ前に」でした。
真っ暗な先を凝視しながら『もう少しだけ前に行こう』と心に言い聞かせ、ときに口にも出して、自分で自分を励ましてきました。

わたし、なんとか前に進めたのかも知れませんね。こうしてブログを綴る気持ちの余裕と、多少の時間を持てるようになったのですから。

「よし、次」

そろそろベランダに出て、昼間片づけた植木鉢や物干しを、もう一度確認して台風に備えなくちゃいけません。



モノローグ

・・・だから、お父さん。お母さんを少し休ませてあげてよ。

ショートステイ施設の隣りの居室から、男性の声が聞こえてきます。認知症父親を預けて帰ろうしているのでしょう。開けかけたドアからはボソボソと老人の声もしますがそちらは聞き取れず、息子の声だけがシンとした夜の空気に流れてきます。

・・・お母さん一人でゆっくり寝たいんだって。・・・いや、そのお母さんは死んだでしょ?

だからお父さんのお母さんじゃなくてお母さん・・・トモコさんだ。あなたの奥さんのトモコさんがもう辛くて休みたいので、あなたは今夜ここに泊まってください」

認知症じゃなくてもわかりづらい自分の説明に自分で焦れてきたのか、話し始めの声にはあった憐れみの色も薄らいで苛立ちだけが募っていく息子のモノローグは、まだまだ続きそうです。

わたしの横にはわたしの夫のエムがいて、ショートの担当者とわたしの引き継ぎを聞いているのかいないのか。それが終われば、わたしは「では、失礼」と言い残して席を立つだけ。エムからのリアクションはいつもありません。

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嵐の夜に

台風が疾走した新宿。
大昔の飲み仲間と邂逅するに相応しい夜でした。
ジーパンに長靴のわたしと、ちょいメタボ&痩身のおっさん二人の、昔のドリカム編成です。

一人が長い名古屋勤務から足を洗ったのをきっかけに10数年ぶりに集結。花園神社から4丁目界隈、末広通りと久々飲んだくれようというわけです。

ところが、往時はゴールデン街がホームグラウンドだったのに、すっかり明るく清潔な観光地となった路地には、もう我らの居場所はありません。しかも、昔みたいにガンガン飲めないんだわ、これが。
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我ら、夜明けに遥か届かず、終電さえも待てず、3軒目の BAR  に流れるマイルス・デイヴィスが、おあつらえの子守唄に聞こえた時点で、早お開きとなりました。

車内のケモノ

悲しい事故を伝えるニュース映像には、主人を失い、地下鉄のホームに身を伏せる盲導犬の姿が映り込んでいます。

その姿は、わたしが2年ほど前に電車内で体験したある出来事を思い起こさせました。


・・・車内は、学生や通勤客で混み合っていました。乗りこんだわたしが立った場所には、足元に盲導犬が大人しくうずくまっていたのです。

ああいいコだなあと思って目をとめ、電車が動き出してほどなくです。席に座る人間とその前に立つ人間の間を割くように、学生服の男の子がサーッと走り込んで来て、盲導犬の左前足を踏んだのです。
感触を確かめるように踏む少年、目を伏せる犬、一瞬を見てとったわたしは反射的に呼び止めました。

「いま、踏んだでしょ?」
「踏んでません」
「見てたのよ、踏んだ!」
「・・ごめんなさい」

そのガキは言い捨てると再び車内を掻き分けて消えました。もちろん席に座られている盲人の方には何もわかりません。

怖ろしくて心が震えたのは、その後からです。
わたしの横に立っていた高校生の女の子がそっと口を開きました。
あの少年は、わたしが乗り込む前にも2回同じことを繰り返したそうです。絶句するわたしに、盲人の隣席にいた男性もそうなのだと頷きます。


あの日、あの車内にいたのは、静かな人間たちと誠実な犬、そして一匹のケモノでした。

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